海外でビジネスするのに必要なのは、その「国」やその国の「人」を尊重する気持ちだと思う。
インドネシア
ベトナム
シンガポール


三好 辰也

1983年、山口県生まれ。幼い頃から人と同じことをするのが嫌いな性格だった。大学卒業後はウェブ広告会社に就職したがいつか自分で商売をしたいと考えていた。実家は地元下関にある創業55年のケーキ屋。独立心は両親から受け継いだものかもしれない。「30歳までに何かをやり始めたい」という漠然とした夢は、日本を飛び出したことで明確なものになった。


  • 2007年4月 株式会社アイレップ入社
  • 2011年1月 ベトナム・Sunrise Advertising Solutions Co Ltd 創業に参画
  • 2013年2月 インドネシア・PT KiuPlat Media 創業
  • 2016年2月 シンガポール・Fifty One Media Pte Ltd 創業に参画
30歳までに自分で何かやりたいと決めていた。

2010年8月。出会いは突然だった。会社員として働いて3年ほど経った頃のことだった。会社に対しての不満があるわけではなかったが、「30歳までに自分で何かをやりたい」という夢を抑えることができなくなっていた。とある週末、会社の先輩に相談したところ、「昔、ニューヨークにいる時に知り合った」という、現在のビジネスパートナーである、トレンドポットグループ創業者の新谷を紹介された。詳しく話を聞いてみると「ニューヨーク、上海、ハワイで フリーペーパーを刊行していて、次はベトナムでの創刊を考えているのだが、事業パートナーを探している」ということだった。ベトナムはもちろん、海外すらほとんど行ったことがない。 語学力も自信がない。ベトナム語はもちろん、英語もほとんど話せない。あるのは「30歳までに何かをやりたい」という漠然とした野心だけ。それだけで、日本を出ることを決めた。27歳、 怖いもの知らずだった。

最初は不安だらけのスタートだった。

最初にやって来たのは、ベトナム最大の都市、ホーチミン。前職同僚がホーチミンで創刊させ、その直後に合流した形だ。ホーチミンでじっくり足場を固めてから、ハノイにビジネスを展開することが決まっていた。日系企業は、ホーチミンとハノイの両方に拠点を持っていることが多いからだ。扱う商品は「週刊ベッター」。フリーペーパーに広告を掲載して頂くことで広告収入を得るというシンプルな構造で、お客様は主に日系企業や現地にあるベトナム企業や欧米企業。日本人をターゲットに広告を出したいレストランや美容系のサロンや、BtoB企業(製造業、コンサルタント会社、人材紹介会社、不動産紹介会社など)だ。ビジネスモデルは他国での実績があることですでに確立されていたが、ベトナムでは知名度ゼロ。ビジネスが成功する保証は無かった。

最初は全くと言っていいほど契約が取れない日々が続いた。あるお客様から「日本人向けのフリーペーパー?もうこんなの必要ないでしょ」と言われた時は心が折れそうになった。なんとか初受注にこぎつけた時は確かにうれしかったが、「まだ知名度の低いこのフリーペーパーで本当に効果を出すことができるだろうか」という不安の方が大きかったくらいだ。


順調な滑り出しから一転。スタッフが全員いなくなってしまった。

スタートこそ不安が大きかったものの、徐々に成果を上げるようになっていた。ベトナムの文化もよく理解できていないし、そもそも営業という職種が初めてということもあり、戸惑うことも多かったが、とにかくがむしゃらに働くことで、結果がついてきたのだ。徐々に受注も増え、お客様からの反応も上々。媒体の知名度も上がってきていた。ベトナム語はまだまだ習得とまではいかないが、積極的に使って覚えようという気持ちも芽生えていた。

ホーチミンで事業に参加して5ヶ月。落ち着く暇もなく、2011年5月から予定通りハノイ版の創刊準備をスタートさせた。もちろん自分1人だけではない。ハノイでオフィスを立ち上げた当初、現地でベトナム人のスタッフを3名採用した。日本語が話せるスタッフもいて、お客様との商談で言葉が通じない時は通訳もしてくれたし、運営には絶対に必要なスタッフ達。信頼していたし、ずっと一緒に頑張っていく仲間だと信じていたのに、創刊から4ヶ月ほど経つあいだに、全員辞めてしまったのだ。最初は状況が理解できなかった。



その"国"や"人"を尊重する姿勢が大切という事に気づいた。

涙ながらに現地で知り合った日本人の“先輩”に相談すると、「ベトナムに敬意を払っていないからだよ」というアドバイスを受けた。確かに、自分の仕事に必死になっていてスタッフをお手伝いさんのように扱っていたかもしれない。仲間を失うことで大切なことに気が付いた。「自分は外国人だ。その国やその国の人たちに助けられて生活やビジネスをしている立場なんだ」これは海外でビジネスをしていくためには絶対に必要なことだった。「自分は日本人だけどベトナムで働くんだから、ベトナムの人や文化を尊重しないといけない」という姿勢で働くようになってから、のちに採用したベトナム人スタッフとの関係も良好だった。何よりも「チームになってきている」という大きな手応えがあった。「効果が出るかどうかは別として三好くんを応援するよ」とお客様から頂いた言葉は大きく胸に響いた。

ベトナム人を尊敬し、国の文化になじもうとする姿勢は、日本人も見ている。そんなところから小さな信頼が生まれるし、とにかく人から信頼されることができないと、成功はあり得ないと感じるようになっていた。数千円の小さな広告スペースも、信頼がないと売ることができない。「日本にいる時は、出社すれば給料をもらえる。ここまで人から信頼されようなんて考えたことも無かった。はっきり言って仕事を舐めていたかもしれないな」海外に出て、初めて働くことの楽しさを感じるようになったと言っても過言では無かった。


海外で叶えた独立の夢

ベトナムでのビジネスが軌道に乗ると、持ち前の独立心がムクムクと沸いてきた。海外にいる日本人をサポートするというビジネスに対して可能性を感じていたし、「自分にもできるんじゃないか」という自信が芽生えていたのだ。ベトナムでは創刊に携わっただけで、純粋な自分のチャレンジではない。どこか別の国で、新たなチャレンジをしたい。今すぐ自分にできることは、ベトナムでやっていたフリーペーパービジネス。行き着いたのは、インドネシアのジャカルタだ。事前の視察でジャカルタでは日本人が生活やビジネスをすることに不便さがあると感じていた。「ここでフリーペーパーを作ったら、たくさんの人の役に立つことができる」。そう信じ、決断をした。

2013年1月末、ベトナムから直接インドネシアに入国。まったくのゼロから準備を重ね、約2ヶ月で創刊までこぎつけた。ベトナムで過ごした2年間は大きく自分を成長させていた。営業ノウハウ、スタッフへのマネジメント。そして、その国の人や文化を尊敬し、人から信頼して頂くことの大切さ…。もちろん、大変なこともあったが、たくさんの日本人やインドネシア人に助けられ、ジャカルタでの「週刊ライフネシア」の創刊は、想定よりも早く軌道に乗った。いつの間にか、海外でビジネスを成功させることができる、たくましい自分になっていた。日本にいる時は全く想像ができないような自分の姿だった。


まだまだチャレンジは続いていく。

インドネシアという国は、すぐに大好きになった。「ありがとう」「すみません」という言葉が多く使われ、笑うことを大切にする国民性。争いごとを避け、和を重んじるのは日本と同じ島国だからか。日本人の感覚と近いなと感じることがよくある。そんな国だからこそ、安定した生活を送ることができているのだ。海外だからと言って決して浮かれず、しっかりと地に足をつけながら、今後のビジネスの展望について、いつも妄想を膨らませている。

2016年には、ジャカルタで出会ったという友人と共同で、シンガポールでもフリーペーパーを始めた。「海外にいる日本人をサポートしたいという軸は変わりませんが、次はフリーペーパー以外の商材を使ったビジネスや、現地のインドネシア人やベトナム人に向けたマーケティングをするビジネスに挑戦したいんです」と目を輝かせる。野心旺盛な三好のことだから、新たな目標を実現するのもそう遠くはないだろう。最後に、海外に出てみて良かったかを聞いてみた。「人生において最良の決断でした」。この言葉に一切の迷いはない。



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