直感だった。
一緒に働きたい人を追いかけたら、ここに居た。
フィリピン


阿部 直美

阿部直美。1985年、福岡生まれ。サラリーマン家庭の2人兄妹末っ子として育つ。中高時代はバレーボールに励み、短大に進学。栄養士の資格を取得し、保育園で栄養士として3年間勤務し、飲食業に転職するも企業で働きたいと感じ、2年後にリクルートへ転職。3年間福岡支店で勤務し、4年目に熊本へ移動となる。この熊本での勤務が転機となった。


  • 2005年4月 社会福祉法人 みなと保育園 入社
  • 2008年5月 飲食店2社
  • 2010年9月 株式会社リクルートHRM 福岡支社 入社(株式会社リクルートジョブズ)
  • 2016年3月 Plecome Media Inc.入社
海外志向じゃなかった。どこで働くというより、誰と働くかが大切だった。

海外に出たいという考えは微塵もなく、ずっと福岡で暮らしていくものだと思っていた。短大で栄養士の資格をとり、卒業後は栄養士として保育園や飲食店で働いた。5年ほど経った頃、企業勤めの友人と会話が噛み合ないことに危機感を感じ、25歳の時にリクルート福岡支店に入社。週刊誌の営業部に配属、求人広告の営業を担った。営業のノウハウを叩き込まれたのもこの頃だった。4年経った2013年、熊本支店に転勤になった。ある日、営業停止も辞さないコンプライアンスに関わる大きな事件が起こった。「今やれることをやろう。やっていくしかない」と全員を奮い立たせてくれたのが、当時九州エリアをマネジメントしていた現在のPLECOMM代表・梶川だった。従業員のモチベーションが落ちずに危機を乗り越えられたのは、梶川の気遣いとポジティブな言葉があったからだった。一緒に仕事をしたのはたったの1年間。短い期間だったが本当に尊敬できる上司だった。

2015年、リクルートを退社。身体が疲れ切っていたのが一番の理由だった。福岡の実家に戻り、これからどうすればいいのか、私は何がしたいのか考えた時、思い浮かんだのが梶川のことだった。“梶川とまた一緒に働きたい”という想いが沸き上がってきた。私は何をするかよりも、誰と働きたいかが重要なんだと気づいた。

直感だった。行くなら今しかないと思った。

梶川は私より先にリクルートを去っていた。連絡しようかと悩んでいた翌日、何と梶川から連絡があった。「フィリピンで雑誌を立ち上げるんだけど、一緒にやらないか」。運命かと思った。この電話を受けた瞬間、“これは絶対行くことになるな”と直感が心を打った。同時期に福岡の会社から営業の誘いがあったが、すぐに断った。住み慣れた福岡で働くより、行ったことのないマニラを選びたいという心は揺るがなかった。それほど梶川と働きたいと思ったのだ。30歳の冬だった。

普通のサラリーマン家庭だった両親は、海外に女一人で行くことに賛同しなかった。特に母親は大反対だった。「マニラは危ない」「女の子一人でなんて」「もう30歳なのに」という言葉を受けても行かない選択肢はなかった。「行くなら今しかないから」と、母を何とか説得した。2016年3月、私はフィリピンへ渡った。


30代の自分を大事にしながら、働ける環境だった

マニラのオフィスは家具も何もなかった。到着した翌日、「家具を買いにいこう!」と梶川と家具を調達しに街へ出た。大きなモールが建ち並び、日本で知られるイメージとはかけ離れた街並だった。「土地勘を養うために、早速営業に行こう!」と、梶川が発案。英語ができない私にとって、どんな営業回りになるのか未知だった。「じゃ、よろしく!」と言って1人で営業周りを任された。“えぇ〜!!マニラに来たばかりなのに?!”不安しかない在住2日目から早速1人でマニラの街を駆け回ることになった。“やるしかない、行くしかない!”直感を信じて来た自分を信じて前進するだけだった。

楽観的でリスク想定をしない国民気質のフィリピン。管理意識が高く、リスクヘッジを考慮しながら仕事を進めていく日本とは真逆。でもふと思う。「大丈夫、大丈夫!これから会社を大きくしていこうぜ!」という(無駄に?) ポジティブなフィリピン人同僚の言葉に救われることがある。疲れ切って辞めた前職の時がちょうど30歳。20代の働き方から違うものに変えたかったのかもしれない。30代の自分を大事にしながら働ける環境がここにはあると思った。


助けてくれる人がいる。だからハッピーを届けたい。

2016年6月創刊を目指して、飛び込み営業を続ける毎日。アンケート調査を行い、顧客リストを携えながら1店、1店巡っていく。知名度も実績もない雑誌だったが、話を聞いてくれる方は多かった。でも興味を持ってくれることは少なかった。そんな中、日系大手企業の社長と会える機会が得られた。一通り話をした後、「ところで○○社と○○社はもう訪問したの?」と聞かれた。「いえ、まだ伺えてないです」と答えるやいなや、社長は目の前で電話を取り出し、数社のアポイントを取ってくれた。その行動がとても嬉しくて、思わず大粒の涙が流れた。なかなかうまくいかなかった中で、人のあたたかさに触れた瞬間だった。

がむしゃらにやってきた2ヵ月間。何とか25社から広告を受注、6月に創刊。本当に雑誌ができたんだと、感慨深かった。創刊から1年半経った現在、クライアント数は60社になった。最近、広告の引き合いが以前より早くなってきているのを感じる。色んな人に読んでもらえているんだなぁ、と実感する。もっと認知度をあげて、100社まで伸ばすのが当面の目標。常に広告主の方にハッピーを還元できる媒体でありたい。


幹がしっかりしていればどんな葉をつけてもいい

迷った時に思い浮かぶのが父からもらったこの言葉。直感を信じてブレずに進んでいけば、自ずと道が創られる。幹さえ、志さえしっかりしていれば、どんな葉をつけても、何をしても大丈夫だと自分に言い聞かせている。マニラには20〜30代の現地採用日本女性が増えてきた。留学をきっかけにフィリピンの魅力にみせられ、そのまま就職する人が多い。男女問わず、働ける環境がマニラにはある。ビジネスチャンスがそこら中に転がっていて、大きな変化を秘めている国。大きな波にこれから何度も出逢うと思うけれど、幹を太くし、しなやかで折れないように、彩りある葉をつけながら頑張っていきたいと思っている。



東南アジアで活躍する人
RECRUIT 2018
Back to Top