自分で自分の背中を押し続け
自分のポジションに合った
自分でありたい
インドネシア


田中 駿一

田中駿一。1985年、東京生まれ。べっ甲メガネ老舗店の長男として誕生。姉と妹をもつ。小学校6年の時に観た巨人戦をきっかけに野球を始め、野球推薦で拓殖大学付属の高校に進学。大学3年の時に研修プログラムとして東ジャカルタの大学に1ヵ月間の短期留学を経験。これがインドネシアとの出逢いだった。


  • 2008年4月 株式会社日立ハイテクマテリアルズ入社
  • 2013年2月 インドネシア・PT. KiuPlat Media入社
  • 2016年1月 同社取締役に就任.
平凡な僕は、一芸を磨けば目立つと思った。

 周囲より遅れて野球を始めた僕は、チームの中で存在感を示すためには人と違うことをしなければダメだと思わされた。大きなホームランを打てる体格や身体があるわけでもなく、足が速いわけでもない。そんな僕が磨いた技術は送りバントだった。2004年、拓殖大学に入学。人と違うことをしなければならないという考えは常に頭にあり、当時ブームだった中国語ではなく、マイナーなインドネシア語を第2言語として選択した。これがインドネシアの扉を開けたきっかけだった。

インドネシアの魅力に取り憑かれた僕。絶対この国で働きたいと感じた。

 大学3年生の時、東ジャカルタにあるダルマプルサダ大学へ研修プログラムに1ヵ月間参加。ホームステイをしていた田舎街のブカシと、首都ジャカルタの景観格差に衝撃を受けた。「まるで違う国みたいだ」と思った。この国の発展の伸びしろを肌で感じ、絶対この国で働きたいと確信した。思えばこの経験が人生の決め手になった。インドネシアに関われる仕事を探し、2008年商社に入社。しかしすぐに思っていたイメージと違うことに気づいた。大きな組織ではどれだけ経験を重ねても出来る事が限られる。先輩をみていると将来の自分が見え過ぎてしまい、3年経った頃に仕事に飽きてしまった。インドネシアに関われない環境にもジレンマを感じていた。

 2012年5月、東京で開催されたバンコクのフリーペーパー会社の説明会に足を運んだ。インドネシアに近づけるならバンコクでもいいと思ってのことだった。熱い想いを持った僕はうっかり「本当はインドネシアで働きたいんです」と、面接相手に熱弁してしまった。その時返ってきた言葉が偶然にも“ライフネシアの立ち上げ”についてだった。「彼に会ってみなよ」と言われて紹介されたのがライフネシア代表の三好だった。


念願のインドネシアへ。三顧の礼の日々、ゼロからの雑誌づくりを。

 2013年2月、念願のインドネシアへ渡ることになった。職人だった父親から家を継いで欲しいと言われたことはなかったが、4代目だった僕が日本から離れることを両親は賛同しなかった。でも学生時代からの夢が叶うチャンスを逃したくなかった。インドネシアで一旗挙げたい、あの国で働きたい、すべてを振り切りそれだけを胸に、ジャカルタの地に降り立った。

 迎えてくれたのは事務机だけあるオフィスと、三好だった。会社登記後1週間の時だった。2ヵ月後の創刊に向けて、広告営業に走り回る日々。日本食レストランを中心に足を運ぶも、知名度も実績もない雑誌に出稿を応じてくれる所は当然なかった。「なぜ今さら紙媒体なのか」「何をしに来たんだ」という声も浴びた。「名刺だけでも置かせてください」、「話だけでも聞いてください」、まるで三顧の礼のようにしつこく通い続けた。ついには「頑張ってるみたいだし、応援するよ」と言って広告を出してくれる方が出始めた。地道に誠実に仕事をしていれば、人は人にお金だしてくれると感じた。2013年4月、何とか創刊にこぎつけられた。今よりも薄く、広告も配布箇所も半分くらいだったけれど、ゼロから創った誌面を手に取った時は本当に嬉しかった。


国とともにステップアップしていく自分、この経験を次世代に伝えるのが使命。

 2015年、ジャカルタで知り合った日本人と結婚。1男に恵まれた。この時初めて、インドネシアを去ろうと思った。「会社を辞めて日本に帰ります」と三好に伝えた。自分のやりたい事ばかりしていては、妻子への責任を負えないかもしれないと考えた結論だった。創刊から3年目。ある程度やり切った想いもあった。しかし三好は、“ジャカルタ駐在ハンドブック”のアイデアを提示し「これからもっと新しいことしていけるようになるよ。もうちょっと頑張ろうよ」と言って、新たな役職を付けてくれた。自分を厳しい環境におかないと前に進めない僕のことを見抜いていたのかもしれない。“自分で自分の背中を押すんだ”と発破をかけてくれたのだと感じた。「もうちょっと頑張ろう」と、腹を据えた。

 毎年インドネシアの国は変化していく。僕の仕事も国とともに大きくなっていく。学生時代はバントでチームメイトを送り出し、チームをサポートしていた。今は読者が求める情報を送り出し、広告主をサポートする仕事に就いている。変わらない自分と変わっていく自分がいる。その変化が今は楽しい。「毎年新しい事業をしよう」と、三好とよく話している。新しい事業を展開する経験は誰もができることじゃない。これからは後輩にも僕のような経験をしてほしいと思っている。これまで学んだこと、教えてもらったことを伝え、事業をやれる人に育て、そして自分も役職に合わせて成長していかなければとならないと感じる。人が育ち、いろんな事業を展開し、人に役立つ情報をもっともっと提供していける“ライフネシア”になっていきたいと思う。



東南アジアで活躍する人
RECRUIT 2018
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