強くありたい、目の前にある目標を追いかけてきたら、今の場所にたどり着いた。
マレーシア


横山 友治

横山友治。1988年、鹿児島県生まれ。3つ上の兄の影響で、物心ついた頃からサッカーに没頭。持ち前の身体能力で東京学芸大学にサッカー推薦で進学し、将来はサッカーで食べていくことを目指し邁進する。20歳のとき、周囲の能力の高さを認めざるをえなくなり、きっぱりとプロになることを諦める。人生の軸足を変え、強くありたい、何かを起こす人になりたい、その一心で突き進んできた。


  • 2012年4月 株式会社メガグローバルパートナーズ入社
  • 2015年4月 MEGA GLOBAL MEDIA MALAYSIA SDN. BHD設立、同社Managing Director
根本にあるものは「一番になれないものは嫌だ」ということ

 3歳から大学生まで、サッカーが人生そのものだった。身体が小さかった僕は食事コントロールをしながら必死に技術と心身を磨きあげる毎日を過ごしていた。20歳の時、サッカー界ではロナウドやメッシが世界を席巻し、その能力の高さに圧倒された。今でも日本国内だと通用していたと思っているが、世界の領域に到達できるとは思えなかった。サッカーでは世界で闘えない、一番になれない。だから20歳の僕は人生を賭けたサッカーから離れることを決めた。一番になれないものは嫌だった。

 サッカーから教わったことは数えきれない。「バケツに穴が開いていたら、どれだけ水を注いでも流れ落ちるだけだ」小学生の時に監督から言われた言葉がいまだに頭に残っている。組織とは、チームプレイとは一人一人が責任をもってそれぞれの仕事を果たすこと。責任を果たせる環境をつくれば、自分のやるべきことが見えてくるという教えだった。“環境が人を育てる”それが自分の基盤だ。従業員を引っ張っていく現在、この教えが役立っていると感じている。

正しいことをするためには、強くあらねばならない。早くその一歩を踏み出したかった

 2011年、就職活動をはじめた。同級生の7割が教員の道に進む教育学科だったが、僕には教員の選択肢はなかった。自分のやりたいこと、正しいと思っていることをやれるようになりたい。その理想を叶えるには強くなければならないと痛切に感じながら、仕事を探していた。大企業で働ける気がしなかったので、何でもやらせてもらえそうな小さな企業を3社ほど受けた。2012年、そのなかの1社だったメガグローバルパートナーズに入社することになった。

 グループ内の新事業を立ち上げたばかりの海外事業部に配属された。上司と僕の二人三脚でさまざまな事業を展開していくことになった。財務諸表、戦略の構築、営業力、ビジネスに必要な知識やノウハウを得られる環境だった。介護デイサービスの展開、韓国でのコンサル業の立ち上げ、翻訳事業など多方面の事業経験をさせてもらった。“環境が人を育てる”、これが体現できた3年間だった。


どこか1ヵ国でいい。土着して、その国のエキスパートになりたい

 翻訳事業で言語を取り扱うようになってから、海外進出のサポートをする機会が増えた。しかし進出サポートは言語だけではない部分が大きかった。僕の知識では本当のサポートが出来ないと実感させられた。「このままではダメだ。日本にいては知識が散漫になる。どこでもいい、異国で土着して事業をやらなければ」。いつかは自分で何かをすることになると思い描いていた。場所を問わず、時期を問わず、何事も実行できる自分になりたいと学生時代から考えていた。スポーツをしていた僕は、いつもやるべきことを逆算してから実行に移すことを心がけている。物事を実現したければ、そのために何をするべきなのか、いつも自問し自答し行動している。異国のエキスパートになるにはどうしたらいいのか悶々と手段を探る日々だった。

 2014年秋、転機となる人物・新谷に出逢った。「マレーシアで週刊誌をつくらないか?」と声をかけられたのだ。なかなか開けなかった海外への道が急に開いた気がした。ビジネスモデルにも惹かれた。躊躇なく海を渡ろうと腹が据わった。とりあえずやってみないと分からない、やるからには出資者や支援者に早く恩を返したいという気持ちがあふれ出ていた。



記憶がないくらい、がむしゃらに走っていた創刊時期

 2015年3月にマレーシアに渡った。オフィスから徒歩30秒に自宅をかまえた。英語も通じ、住みやすい街だと思った。渡ってから創刊までの記憶はあまりない。きっとそれぐらいがむしゃらに突き進んでいたのだと思う。唯一記憶にあるのは日々現金が減る恐怖との闘い、そして今も支えてくれている広告主の方々との出逢いだ。創刊時の営業は本当に難しかった。実体のない雑誌のために出稿をしてくれるところは少なかった。2015年6月、それでも何とか「M town」の創刊にこぎつけた。創刊誌が手元に届いた時の記憶はない。感動する暇がなかったのだ。なぜなら既に次号の入稿作業に入っていたからだと思う。

 媒体は地道に発信し続けることに意味がある。地道に続けていれば、見てくれる人がいる。そう思わせてくれたのが、あるレストランの社長さんだった。ずっと競合他誌に広告を出されていた方だった。営業に伺うものの見向きもしてくれなかった。「絶対、このレストランを宣伝したい」そう思って、この日から毎月2回足を運ぶようにした。通い続けて約1年半後、「頑張っているし、一度出してみるよ」といって、出稿してくれることになった。本当に嬉しかった。今でも本当に可愛がってくれるありがたい存在だ。


ビジネスは発信者が幸せでないとダメだと思っている

 現在、立ち上げ時から居るマレー系マレーシア人の総務、1年前に入社した中華系マレーシア人の営業、そして日本人がM townを創っている。誰一人辞めずに続けてくれているのがささやかな自慢だったりする。創刊から2年半が経ち、何となく区切りがついてきたと感じてきたので、次は社内の人間が幸せであることに注力したいと思っている。ビジネスは発信者が幸せにならないと成り立たないというのが持論。今はまだアイデアレベルだけど、発行者・広告主・読者の三方が幸せになれる事業展開を考えている。来年実現させるために何をすべきか逆算中だ。

 「正しい方向で正しい量の努力は裏切らない」、最近腑に落ちた言葉だ。これはサッカーでも同じ。どんな国であろうとも、ビジネスにおいて、質のよい努力は決して裏切らないのは周知の事実。物事を成すための目標を少し上に設定し、今出来ることを確実に達成させ、徐々にステップアップさせたい。情熱をもって、飄々としながら虎視眈々とヨコヤマユージの色がついた事業に成長させていきたいと思っている。



東南アジアで活躍する人
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